月齢0

『月齢0』

闇が空間を満たしていた。

皓一は眠れず、ただ闇にぽっかりと口をあけた天窓を見上げた。
―――今夜は月が無い。

昨晩出ていた猫の瞳のような月が最後だったようだ。
眠れない。

大きな天窓のあるこの部屋は満月が出るたび眩しくて眠ることができないが、明かり一つ無い所為で月の無い夜も同じように眠ることができなかった。

皓一はベッドの上、身を捩った。
ジャラリと足に繋がれた鎖が音を鳴らす。
ふと、皓一は手を伸ばした。闇を掻くように二度,何も無い天窓へ伸ばす。

何も見えない。
紫の鱗も。
何も。
自分さえも、無い。
暗闇に溶けてしまった錯覚に陥る。

自分の存在確証が危うくなり、皓一は大きく息を吐いた。白いはずの吐息も、今は見えない。
気ばかりが焦る。
皓一は再び身を捩った。
部屋の外、誰かが近付く音がした。

ベッドの上に身を起こす前に、扉は開かれた。
扉の前に誰がいるのかさえ、見えない。
だが、こんな夜中に部屋を訪れるのは一人しかいない。

闇に輝く、山吹色の瞳。

「緋龍…?」

問いかけにも応じることなく、足音が近付く。
「どうして…?俺は呼んでない」
ついに足音はベッドサイドへ近付き、不意に顎を掴まれた。
革手袋がヒヤリと肌を包む。
「緋龍…!なにを」
「眠れないのだろう?」
見透かされ、皓一はぐっと息を止めた。
「どうして…」
「月の無い夜はこの部屋に来ることになっている。紫龍、お前との約束だ」
「俺はそんな約束してない!」
闇の中山吹色の瞳が細められる。
「約束だ」
スッと、顎を掴んでいた手が離れていく。闇の中を気配が足音と共に離れていく。やがて、椅子に腰掛ける音がした。
「………」
皓一は闇の中目を凝らした。何も見えない。
その姿は見えないが、どうせこちらを見ているのだろう。
初めてこの部屋に連れてこられたときもそう言っていた。

どれだけ時間が経ったのか。
皓一は眠れずにいた。
闇の中に溶けた緋龍の気配を探して、声を上げた。
「…緋龍?」
椅子が軋み、足音が近付く。
山吹色の瞳が瞬いて見えた。
「あんた…寝ないのか?」
「…眠れないのだろう?」
「子供じゃないんだから、…いいよ。大丈夫」
慣れるよ。
そう言おうとした唇に、冷たいものが触れた。
サラリと、頬にかかる髪。
緋龍の唇だった。
「…っ、ひ…りゅ…」
突然の出来事に皓一は抵抗する。
見えないままその身体を押し返すと、あっさりと緋流は身を離した。
「なに…なにする…!」
「…何もかも、見えないのだろう?」
再び闇の中みえないまま顎を掴まれる。
「おのれさえも…闇に溶けたように、なにもかも」
「…!」
「お前はここにいる。そのために俺はこの部屋にくる」
顎を掴んでいた手が唇をなぞる。
静かに、皓一は闇に浮かんだ山吹の瞳を見た。
満月の、濃い山吹色を思い出していた。

―――月だ。

何もかもを照らし出す、月だ。
その瞳は何もかも見透かしている。

ギシリ、とベッドが軋む。
「…!!」
一瞬にして脳裏にあの月夜の出来事が甦る。
皓一は身を固くした。
「どうした」
返ってきたのは低い声だけだった。
「な…なんでもない」
「おまえが何を思っているのか、教えてやろうか」
「…っ、なんでもない!緋龍、何をしにきたんだ!?」
「それは、おまえが一番知っているはずだ」
右手を掴まれ、持ち上げられる。
「暗闇が怖いか?」
「…子供じゃないんだ」
「この手が、見えないとしても?」
「緋龍」
「おまえは確かにここにいると証明できるか?」
「……!」
右手の鱗に、何かが触れた。
「この闇に、溶けてしまう。そう思っているのだろう?」
声と同時に、鱗に触れたものが動いた。触れているのは、唇だった。

闇の中に、静かに声が吸い込まれていく。

「緋龍…俺は、闇なんて…」
怖くない、といいかけてその瞳を見返した。
鮮やかな山吹色に言葉が詰まる。
右手が自由になり、その代わりに、身体の動きを封じられた。
「ひりゅ…」
闇に身体を縛り付けられた錯覚を覚える。
僅かに動く首を振ってもがくが、自由にならない。
山吹の瞳も見えない。

闇の中に、縛られた。
何も見えない。
傍にいるはずの緋龍も、呼吸も、何も無い。

―――闇。

「ひりゅう…!やめ…」
「怖いか」
耳元すぐに、低い声が響いた。
見れば間近に山吹色の瞳。
「何のためにきたのか、教えてやろうか」
「緋龍、明かりを」
「そんなもの必要ない」
頬を革手袋の手が撫でる。
「緋龍…!」
「闇に溶けてしまえ。…身体も、心も」
その瞳が閉じられる。
再び闇に閉じ込められる。
「いやだ…!ひりゅ…」
喚くその唇を、冷たい唇が閉じた。
「……っ」
目を見開いても、何も見えない。
身体を押さえつける長身も、影も、何も見えない。

完全な闇が全てを支配した。

何も無い。
音も、鼓動も、吐息さえ封じられ、何も無い。

「…っ」
混乱した意識のなか、唇が離される。
「…ひりゅ…っ」
山吹色の瞳が見下ろしていた。
「怖いか?」
その瞳が細められる。
「身体など忘れてしまえばいい」
「俺は…っ」
再び瞳が閉じられ、首筋に冷たいものが触れる。―――唇だ。

「何度でも、おまえの存在を明かしてやる」

緋龍の低い囁きが闇の中に響く。

「何度でも」


『月齢0』END

えーと…。

ブログの転載です。

某所『なないろノベル』にて連載中の『真円の月が纏うもの』の番外短編です。

やおいの真髄を貫いてみました。やまなしいみなしおちなし。言い訳。ははっ。